琵琶湖周航の歌

作詞:小口太郎
原曲:吉田千秋

1 われは(うみ)の子 さすらいの
  旅にしあれば しみじみと
  のぼる狭霧(さぎり)や さざなみの
  志賀の都よ いざさらば

2 松は緑に 砂白き
  雄松(おまつ)が里の 乙女子(おとめご)
  赤い椿の 森蔭に
  はかない恋に 泣くとかや

3 浪のまにまに 漂えば
  赤い泊火(とまりび) なつかしみ
  行方定めぬ 浪枕
  今日は今津か 長浜か

4  瑠璃(るり)の花園 珊瑚(さんご)の宮
  古い伝えの 竹生島( ちくぶじま)
  仏の御手(みて)に いだかれて
  ねむれ乙女子 やすらけく

5 矢の根は深く (うず)もれて
  夏草しげき 堀のあと
  古城にひとり (たたず)めば
  比良も伊吹(いぶき)も 夢のごと

6 西国十番 長命寺
  (けが)れの現世(うつしよ ) 遠く去りて
  黄金の波に いざ漕がん
  語れ我が友 熱き心


大正6年(1917)6月旧制第三高等学校(現在京都大学)ボート部が恒例の琵琶湖一周クルーズに出たとき
2日目に泊まった今津湖畔の宿で、クルーの一人・小口太郎が作った詞が披露されました。
これが、そのころ三高生たちの間で流行っていた『ひつじ草』という歌のメロディーに合わせて歌われるようになり、やがて三高の寮歌となりました。
『ひつじ草』を作ったのは、東京農業大学出身の吉田千秋という青年で、曲は大正4年(1915)、雑誌『音楽界』8月号に発表されました。
長い間、作詞・作曲とも小口太郎とされていましたが、熱心な研究者の調査で、こうしたことがわかりました。

 なお、小口太郎は26歳、吉田千秋は24歳で亡くなっています
夭折が珍しくなかった時代とはいえ、豊かな才能と感性に恵まれた若者が2人とも早々に世を去ってしまったのは、まことに残念なことです。